また六本木へ
2005年 11月 05日
ここのところよく足を運ぶ六本木。いつからテメーはそんなセレブリティになっちまったんだと。
今回は前回行けなかった『時間の終わり』を見に行く。
美術館なんて今年の初めにロンドンで見に行ったぶり。
『時間の終わり』は写真展、今手元に資料が何もないので詳しいことは書けないのだが、結構前衛的な写真展。
そこには数学的公式の模型を写したものだったり、絵を写真で撮り直したもの、ただひたすら海を撮ったものだったりが各部屋をコンセプトごとに分け展示されていた。
その中でとりわけ自分の興味を引いたのが絵を写真で撮った作品。
作者は、動物の剥製を見た際に、それを片目でみることによって遠近感が失われ、リアルになることを発見したそうだ。
カメラも片目なのでアンリアルなものも、カメラというフィルターを通すことによりリアルへと変化する。
確かにそこにある写真は全てが実際にそこにあったことのようだった。
しかしそんなことはない。ネアンデルタールはカメラに注意を払うわけがないし、ライオンは我が家の団欒へ人を招くはずがない。
リアルでないものがリアルに見える。
片目を閉じるだけで変わる世界、実は見えていないだけで、それぞれにはもう一つのリアルがあり。それは我々と同じ時間を通じてこの世界にあるのではないのか。
知恵熱のせいで、その後は気分が悪くなり、鼻血を出してぶっ倒れた。
ご心配をおかけしました。
今回は前回行けなかった『時間の終わり』を見に行く。
美術館なんて今年の初めにロンドンで見に行ったぶり。
『時間の終わり』は写真展、今手元に資料が何もないので詳しいことは書けないのだが、結構前衛的な写真展。
そこには数学的公式の模型を写したものだったり、絵を写真で撮り直したもの、ただひたすら海を撮ったものだったりが各部屋をコンセプトごとに分け展示されていた。
その中でとりわけ自分の興味を引いたのが絵を写真で撮った作品。
作者は、動物の剥製を見た際に、それを片目でみることによって遠近感が失われ、リアルになることを発見したそうだ。
カメラも片目なのでアンリアルなものも、カメラというフィルターを通すことによりリアルへと変化する。
確かにそこにある写真は全てが実際にそこにあったことのようだった。
しかしそんなことはない。ネアンデルタールはカメラに注意を払うわけがないし、ライオンは我が家の団欒へ人を招くはずがない。
リアルでないものがリアルに見える。
片目を閉じるだけで変わる世界、実は見えていないだけで、それぞれにはもう一つのリアルがあり。それは我々と同じ時間を通じてこの世界にあるのではないのか。
知恵熱のせいで、その後は気分が悪くなり、鼻血を出してぶっ倒れた。
ご心配をおかけしました。
by zenjou
| 2005-11-05 10:11